日本では、トマトは生で食べることが多いが、他国では加熱調理や調味料として使われることが多い。
イタリアをはじめ各地で親しまれているトマトソースや、アメリカのトマトケチャップはその代表的なものだし、広大な中国大陸で、地域を問わず家庭料理として親しまれている料理は、トマトと卵の炒めものだったりする。
そんな中国のなかでも、貴州省ではトマトを発酵させた紅酸(ホンスゥァン)が有名だ。
紅酸とは、直訳すると赤い酸という意味。トマトと唐辛子を合わせて発酵させた調味料であり(トマトだけの場合もある)、これを使って魚、スペアリブ、とうもろこしなどを煮込んだ鍋料理をつくるのだ。
そもそも“酸”とは、貴州省東南部に暮らしてきた苗(ミャオ)族、水(シュイ)族などの少数民族に伝わる乳酸発酵調味料や、発酵の味わいそのものを指す。
なぜこうした味づくりが発達したかと言えば、山に囲まれた地勢である。
貴州省東南部は塩が産出されず、かつては物資の輸送が容易ではなかったことから、塩を使わずに食材を発酵させ、酸味やうまみをつくる技術が根付いたのだ。
紅酸のもとは、野生のトマトと生唐辛子。
そんな貴州特産の紅酸を使った鍋料理が紅酸湯(ホンスァンタン)である。この料理は、2018年6月と8月に、貴州省東南部の小花苗族が住む青曼村を訪れた折、料理上手な潘さんのお宅で、豚のスペアリブともちきびの鍋をいただいたことが忘れられない。
潘さんは自宅の裏に生えている野生のトマトと赤唐辛子を使い、毎年夏に50kgほど紅酸を仕込むという。
野生のトマトとは、毎年同じ畑で同じ場所に自生するトマトのこと。収穫時期にもよるが、その多くは小粒で青臭い香りがあり、甘味は少なく酸味がある。
特に葉の香りは鮮烈だ。グッと指でこすると、青臭いトマトの香りがぷうんと放たれ、これぞトマト!と思うほど。
民族や家庭によって加える材料や配合は異なるが、潘さんは新生姜、にんにく、甜酒(ここでは酒醸のことを指す)を加えて1か月ほど発酵させている。
できあがった紅酸は、油や雑菌などが入らないように保存すれば、常温で1~2年は持つ。いうなれば、日本人にとっての味噌のようなもの。これさえあれば味が決まる万能調味料ともいえる。
なかでも紅酸を使った有名な料理が酸湯魚(スゥァンタンユィ)。紅酸をスープで割って鍋仕立てにし、身の軟らかな淡水魚を煮込んだ鍋料理で、発酵トマトのうまみを帯びた酸味に、調味料としてのトマトの底力を感じる一品だ。
また、家庭では紅酸を鶏や豚などのスープで割り、さまざまな野菜や肉を加えて楽しむことが多い。
これがまた箸が止まらない。トマトはグルタミン酸、すなわちうまみが多い食品。そこに豚肉などに含まれるイノシン酸や、貝類に含まれるコハク酸が結びつくと、さらにうまみが増幅されることは化学的にも実証されている。
貴州式に白身魚の具もいいが、日本であれば、豚肉と野菜、アサリなどの貝類や肉団子を入れた紅酸湯も抜群に美味。投入した食材から出たうまみ成分がこれでもか!と乗ってきて、鍋の後に残ったスープもおいそれ捨てられない味に育つ。また、春は新鮮な水ダコも非常においしい。
〆は米粉で作ったぴちぴちの生麺を入れたいところだが、日本では手に入りにくいので、ベトナムのフォーなどで代用しよう。さっぱりとした米粉の麺と鍋汁とをすすればもう止まらない。
仕上げにレモングラスのような香りを持つ木姜油(ムージャンヨウ)をたらしたり、腐乳や香菜を加えれば旨さ倍増。一気に汁ごと飲み干してしまうこと請け合いだ。
2019年6月発売『中國紀行CKRM Vol.16 貴州 山岳民族の文化と発酵』p26~45で貴州省東南部の少数民族に伝わる「酸」の発酵を詳しく紹介しています。
2019年8月に『ニューヒナベパラダイスin貴州 TOUR2019』で青曼村の潘さんに紅酸の作り方を教わりました。
貴陽市内を中心に、複数店舗を構えている「老凯里酸汤鱼」や、凯里市内の「亮欢寨」が有名。紅酸湯そのものはあっさりしたスープなので、蘸水(ジャンシュイ:つけだれ)をつけていただく。紅酸湯はスーパーで市販の素が販売されており、手軽で自宅でも楽しむことができるが、総じて味は濃い目。市場で手製のものが売っていることもある。
この記事の場所
貴州省青曼村
サトタカ(佐藤貴子)
食と旅を中心としたコンテンツ企画、編集、執筆、監修、コーディネートなどを手掛ける。10代でフランス菓子の再現にハマり、20代後半で中華食材の多様性にハマり、30代で中国郷土料理の沼にハマる。中華がわかるウェブマガジン『80C(ハオチー)』ディレクター。中華圏を胃袋目線で旅する『ROUNDTABLE』主宰(当サイト)。東洋医学を胃袋で学ぶ『古月漢満堂』企画など。