<腐乳研究会> 九州の腐乳|台北の腐乳|貴州の腐乳|雲南の腐乳
はじまったのは、2018年くらいだろうか。気づいたら「腐乳研究会」ができていた。
研究会といっても、その日のメインイベントの前座のような、ささやかな会である。 内容は、各人がアジア各地から持ち寄った腐乳をつまみながら、ああだこうだ語るだけ。おもしろいもので、腐乳をちまちまと舐めながら、作られた土地のエピソードを聞いていると、その地域の風景が見えるような気持ちになる。
〈ふるさとの菌の味〉を知るか否か。
そもそも多くの日本人は、腐乳文化のないところに生まれ育っている。ゆえに、味覚のベースとなる〈基本の腐乳〉がない。
一方、腐乳文化のあるところに育った人はちょっと違う。〈ふるさとの菌〉が作用した豆腐こそ、基本の腐乳という認識があるのだ。 だから、腐乳文化のあるところに生まれた人が「腐乳研究会」に参加すると、さらに腐乳の味わいと理解が深まる。
例を挙げると、以前、貴州を代表する発酵トマトの鍋「紅酸鍋」の蘸水(ジャンシュイ:つけだれ)を自宅で振る舞った際に、台湾の腐乳を出したことがあった(もちろん貴州の腐乳も出している)。 しかし、一緒に卓を囲んだ貴州人リンちゃんは「?」というリアクションだった。無言だが、翻訳すると「なんか違う」ということだろう。
それもそのはず、貴州の腐乳は毛カビで発酵させるものが主だが、台湾は麹をベースに発酵させる。発酵種 になるものが異なれば、腐乳の育ち方も異なる。 だから逆に、台湾人が貴州の腐乳を口にすれば、同じく「?」となってもおかしくない。脳内に〈基本の腐乳〉があるかないかは、けっこう大きな差があるのだ。
しかし、腐乳文化のないところで育った我々も、経験を積めば、腐乳の味がわかるようになる。 それどころか、まっさらな舌で腐乳を食べ比べるから「豆腐を発酵させれば腐乳」と許容範囲も広い。これをメリットと言わずしてなんと言おう。
ちなみに腐乳(fǔrǔ:ふにゅう)とは、豆腐に麹またはカビ、および塩分となるものを入れて発酵させた食品をいう。腐乳は中国語ではあるが、 日本にも同様の製法で作られたものはある。 「腐乳研究会」では、それらすべてを腐乳の仲間と捉えて、ああだこうだ論じている。そんな比較文化的視点でゆるく開かれている会の一部をご紹介したい。
日本の貴州!? 宮崎県椎葉村の「ねむらせ豆腐」は麦味噌と昆布が決め手。
この日の研究会は、貴州とウイグルの辣油テイスティングの前に開かれた。参加者はモエ、マサラ、サトタカ。まずは宮崎県椎葉村より「ねむらせ豆腐」だ。
椎葉村は「九州のへそ」にも近い山深い場所で、熊本県と宮崎県の県境あたりに位置する。日本の秘境につきものの平家の落人伝説もあり、誰が決めたか「日本三大秘境」のひとつだそう。豆腐を眠らせておくにはぴったりのロケーションである。
そんな椎葉村の「ねむらせ豆腐」、もとい腐乳は、贅沢な製法で作られる。漬け床は九州で広く食べられている麦味噌。なかでも椎葉の麦みそは白っぽい。そこに昆布を巻いた硬めの豆腐を漬け込み、約1年間熟成させるのだ。
「椎葉村の語り部」の屋号で「ねむらせ豆腐」を製造している椎葉村地場産品開発株式会社の大女将に話をきくと、これ以上寝かせてもいいが、1年ものがちょうど1年で売り切れるので、その循環で作っているとのこと。 仕込みは2月~3月上旬の寒い時期に行う。私が椎葉村にある工場直売店で買ったのは、奇しくも瓶詰の日であった。
口にすると、麦味噌の味がする。続いて、昆布の静かな旨みがひたひたとやってくる。テクスチャは練ったクリームチーズのように至極滑らかであり、舌の上でシームレスに消える。味わいに角はなく、まろやかで、どこか清らかさもある。ひと言で言うと、うまい(笑)。
先の大女将に曰く、市販する前は「山の雲丹」と呼んでいたそうだ。しかし、懇意にしていた熊本の方に商標を取られてしまい、この名を新たにつけたとのこと。 個人的には、やや狙いすぎな「山の雲丹」よりも「ねむらせ豆腐」に一票入れたい。深い山間にひっそりと佇む、椎葉の里に相応しい名前じゃないか。
マサラ「味でいうと、これは味噌だね」
サトタカ「キュウリにつけたくなる。でもこんな高級品にキュウリももったいないような」
モエ「おいしい!マイルドだねえ」
おいしい。とてもおいしい。 しかしさまざまな腐乳を食べてきた我々からすると、かなり味噌寄りである。まあ、実際漬け床が味噌だから当然といえば当然だ。素直な豆腐が、しっかりとその味を受け止めている。改めて、漬け床とそこに住む菌の影響力を感じた。
なお、椎葉村に限らず、「九州のへそ」周辺の熊本山都、阿蘇あたりの直売所や道の駅では「豆腐の味噌漬け」といった名で、似たような製法で作られた腐乳が売られている。
しかし、それらの商品の多くは、調味料に「アミノ酸等」と入っているものが多い。化学調味料が悪いとはいわない。しかし、腐乳のように時間をかけ、旨みを醸し出そうっていうのに、わざわざそこに足しても価値は上がらないと思う。その点「ねむらせ豆腐」はピュアである。 そもそも、長江以南の中国や、タイ、ベトナムなどアジアの山間部に暮らす人々の食文化には類似点が多いように思う。
例えば、野菜を入れて固めた「菜豆腐」や、乾燥ゼンマイの煮もの、納豆加工品、棚田米、唐辛子の漬けもの、腐乳に通じる「ねむらせ豆腐」。 いずれも椎葉村の食文化だが、貴州山間部の食文化ともよく似ている。そもそも椎葉村を旅したくなったのも、こうしたラインナップを見て「もしやここは日本の貴州ではないか?」と思い、確かめてみたくなったからだ。
文化は辺境に残る、ともいう。アジアの辺境食は、国は違っても通じるものがあるのだ。
豆腐以上、腐乳未満。用途いろいろ、熊本県山都町の「みそ漬豆腐」
椎葉村の「ねむらせ豆腐」つながりで、比較しようと買ってきたのが「みそ漬豆腐」。前述の通り、豆腐の味噌漬けはこの界隈一体で見られるもの。こちらは熊本県山都町の「道の駅 通潤橋」で買ったものだ。 買う決め手となったのは、うまみ調味料が使われておらず、手ごろな価格で、中がわかりやすいパッケージだったこと。
多くの腐乳は豆腐をひと口サイズの角切りにして漬け込むのだが、これは冷ややっこをそのまま味噌に漬けました!という素朴な雰囲気だ。 さきほどの「ねむらせ豆腐」が、清純なまま大人になった熟女のような腐乳だとすれば、こちらはおぼこい雰囲気を残しつつも、大人になりかけの少女と言ったところだろうか。ところどころ味噌の大豆が粒のまま残っているのもまた愛おしい。
購入したのは2020年3月1日で、賞味期限は3月14日。おそらく漬け込み期間も短いのだろう。この日数からも、塩味は少なく、より豆腐に近いと推測される。
マサラ「これはかなり豆腐っぽい」
サトタカ「豆腐のもろっとした感じも残ってる」
モエ「水気も多めだね」
想像通り、塩味はそこまで強くない。漬け床に切り昆布、生姜、もろみが入り、旨みもしっかり、バランスがいい。多くの腐乳が豆腐とはまったく別物になっているのに対し、こちらは見た目からして豆腐を感じさせる。
マサラ「この材料で漬け込んだら作れそうじゃない?」
モエ「どんな豆腐で作るの?」
サトタカ「沖縄の豆腐見たいな、水分少な目のものだよ」
そう、なんとなく作れそうという雰囲気も親しみやすい。これならバゲットやクラッカーにたっぷり塗ってもよし、キュウリにつけても惜しくなく、カマンベールチーズとの合わせ技もいいし、中国風にお粥やごはんにトッピングしても間違いない味だ。
価格も手ごろで、保存期間も長くないと「どんどん使おう」という意識が生まれる。えてしてこういう保存食は、冷蔵庫の奥底に眠ったままになってしまいがちだから。 こうして2つの国産腐乳を味わったところで、冷蔵庫の奥にああ眠っている台湾の腐乳を出してみたくなった。
この記事の場所
宮崎県椎葉村
熊本県山都町
サトタカ(佐藤貴子)
食と旅を中心としたコンテンツ企画、編集、執筆、監修、コーディネートなどを手掛ける。10代でフランス菓子の再現にハマり、20代後半で中華食材の多様性にハマり、30代で中国郷土料理の沼にハマる。中華がわかるウェブマガジン『80C(ハオチー)』ディレクター。中華圏を胃袋目線で旅する『ROUNDTABLE』主宰(当サイト)。東洋医学を胃袋で学ぶ『古月漢満堂』企画など。